無職になってから、「何者でもない時間」が始まった。
肩書きも、役割も、説明しやすい立場もない。
ただ年齢だけが残り、54歳・無職という事実だけがそこにある。
この言葉をどう受け止めるかで、心の在り方は大きく変わる。
働いていた頃、私は「何者か」でいることに必死だった。
仕事の内容、立場、成果。人に会えば自然と名刺代わりになるそれらが、自分の存在を証明してくれている気がしていた。
だが、それがなくなった途端、自分が空っぽになったような不安に襲われた。
何者でもない時間は、最初はとても居心地が悪い。
誰からも必要とされていないような気がして、社会から切り離された感覚になる。
朝起きても急ぐ理由がなく、予定がないことに罪悪感すら覚える日もあった。
けれど、この時間は嘘をつかせてくれなかった。
忙しさでごまかしていた感情や、本当は感じたくなかった疲れ、無理していた自分の姿が、静かに浮かび上がってくる。
何者でもないからこそ、自分に正直でいるしかなかった。
この時間が教えてくれた一つ目のことは、
「価値は肩書きの中にない」という事実だ。
二つ目は、比べる癖がどれほど自分を苦しめていたか、ということ。
同年代の活躍、安定した暮らし、成功の話。比べれば比べるほど、自分は足りない人間だと思い込んでいた。
三つ目は、何もしていない時間にも意味があるということ。
考える時間、感じる時間、ただぼんやり過ごす時間。
これまで「無駄」だと思っていたそれらが、実は自分を回復させ、整えてくれていた。何者でもない時間は、人生のメンテナンス期間なのだ。
54歳・無職。
この状態は、ゴールでも失敗でもない。
むしろ、人生を選び直すための静かな通過点だと思うようになった。
焦らなくていい。答えを急がなくていい。今はまだ、形にならない何かが内側で育っている途中なのだから。
何者でもない時間は、不安と同時に自由を与えてくれる。
「こうでなければならない」という鎖が外れたとき、初めて自分の声が聞こえてくる。
その声は小さいけれど、確かで、嘘がない。
この時間が終わるとき、私はまた何者かになるのかもしれない。
でも以前とは違う。
肩書きにしがみつかず、自分の感覚を信じて選んだ何者かに。
何者でもない時間は、人生の空白ではない。
次の一歩のために、静かに力を蓄える、大切な余白なのだ。

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