無職になって、「何者かにならなくていい」時間が増えた。
正確に言うと、何者かになろうと
考えなくなった。
働いていた頃は、役割があった。
立場もあった。
それらがあると、人は自然に
自分を説明し始める。
今は、説明する必要がない。
初対面の人に会うことも少なくなり、
自己紹介をする機会も減った。
「何の仕事をしているのですか?」
と聞かれない。
聞かれないと、答えを用意しなくていい。
それは、思っていた以上に楽だった。
無職だと言えばいいのだが、
それを言う必要すらない。
誰かに説明しない時間が増えると、
自分に対しても説明をしなくなる。
なぜこうなったのか。
これからどうするのか。
本当は何がしたいのか。
そういう問いが、
頭に浮かびにくくなった。
問いが消えたというより、急がなくなった。
何者かにならなければ
生きていけない、と思っていた。
肩書きがないと、
価値がないような気がしていた。
でも、何者でもない時間を
実際に過ごしてみると、
世界はあまり変わらなかった。
朝は来るし、腹は減るし、夜になる。
自分が何者かであるかは、
一日の進み方にそれほど関係ないらしい。
無職になってから、
人と比べることも減った。
比べる相手が見えなくなったからだ。
同僚もいない。
評価もない。
昇進もない。
比べる土俵が消えた。
土俵がない場所では、
勝ちも負けも起きない。
その代わり、ただ時間が流れる。
その流れの中で、自分は
特別な存在でも、劣った存在でもない。
ただ、そこにいる人になる。
それが、少し心細くて、
少し安心だった。
何者かにならなくていい時間は、
怠けている時間とは違う。
何かを放棄した時間でもない。
ただ、役割を外した時間だ。
役割を外した自分が、どうなるのかを
確かめている途中だと思っている。
答えは、まだ出ていない。
出さなくてもいい。
今は、何者かにならなくていい
時間を静かに過ごしている。
それで、今日は十分だ。


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